我々ひねくれ者は、
文化を創造しうるだろうか?
現在私はMississippi Khaki Hairと、Siberian Love-Sicknessという二つのバンドで、作曲とギターボーカルを担当している。
自分の音楽リスナーとしての原体験は、幼少期に偶発的に出会ったFranz Ferdinandというバンドに支配されており、彼らのお陰で(或いは、彼らのせいで)、筋金入りのインディー/オルタナティブミュージックファンとして半生を送ってきた。
似た嗜好を持つ多くのリスナーと同じように、私もまた英語圏のカルチャーに強い執着を持ち、事実、日頃聴く音楽のほとんどが、英語圏発、もしくはそこからの強い影響下にあるものだ。
そういった自分自身のバックグラウンドもあり、私がこれまでに立ち上げた音楽プロジェクトは、全楽曲が英語詞かつサウンドデザインも所謂“洋楽インディーロック”的要素を持っている。
それは私個人からすればナチュラルなことでありながら、日本という独自の音楽文化が発展、定着した土地では、自分がミュージシャンとして、ある種のひねくれ者である自覚を持っている。
しかし、1400万人が暮らすメガシティ、ここ東京では、自分達と近い音楽性を選択した同世代のバンドも少なからず存在している。
イベントへの出演等で彼らと親交を深め、自分達の現状について話す際、特に頻出する話題は、自分達が愛する音楽と国内の“売れ線”との乖離、やはり我々が如何にひねくれ者であるかという話に尽きる。
時には自嘲的な笑い話として。時には真剣味を帯びた未来の話として。
そこには「インディーミュージックは商業的に成功しない。」という紛れもない諦念が潜んでいる。
正直なところ、私はこの話題に辟易している。
仲間内のジョークや、外部とのビジネストークにまで頻繁に顔を出すこのケチくさいクリシェを憎んですらいる。
そして恐ろしいことを考えつくのだ。
「我々より先に活動していたミュージシャンも延々とこういう話をしていたのではないか? そして我々より後の世代のミュージシャンも同じ話を繰り返し続けるのではないか?」
そういった諦念に支配される状況からの脱却を目指すべく、インディーミュージシャンはどうあるべきか考えていきたいと思う。
大前提として、私は現在の国内音楽市場に少なからず不満を抱いており、1人のインディー/オルタナティブミュージックファンとして、ミュージシャンとして、何か状況を好転させられないかと思索している。
そもそも私は1人のミュージシャンとして活動を開始して以来、国内のインディー音楽にかなり近い距離に、もしくは完全にその内部に留まり続けている。
その中で見聞きしたあらゆる情報から、自分達の活動しやすく、なるべく強力なコミュニティを作り出すことこそが、現状に対する唯一の打開策だと考えている。
どれだけ私個人が不満を持っていようが、日本が文化資本という視点から豊かな国であることは否定のしようがなく、インディーミュージックに限っても数多の文化的コミュニティが存在する。
そういったコミュニティの中には、その規模の拡大を目標のひとつとするものも一定数あり、私も少なからずシンパシーを抱くことがある。
しかしいざ注意深く観察してみると、それらにはコミュニティとしての意識的な“協調”が不足しているのではないかと感じることが多い。
我々は、健全に機能する集団を作れていないのではないか?
近頃、我々インディーミュージックファンが注目し、我々の希望として祭り上げているものといえば、「サウスロンドン・シーン」だ。
簡単に説明すれば、ロンドン南部の比較的若いミュージシャン達が、時代錯誤も甚だしいギター主体のオルタナティブサウンドで英国のヒットチャートや、世界各国の音楽市場に影響を与えているというものだ。
このシーン出身のバンドが大手/名門レーベルと契約を結ぶ例も枚挙にいとまがない。
そのダイナミックな筋書きも相まって、現在進行形の文化でありながら、一種の神話性まで持ち始めているように思う。
もし我々が極端な成功例を完全に模倣しようとしても、まず間違いなく破綻するだろう。
しかし、そこに再現性は全く存在しないのだろうか?
サウスロンドン・シーンのバンド達が集う、コミュニティの最重要拠点となったThe Windmillは、キャパシティ200人にも満たないパブ併設のカジュアルなライブハウスだ。当然、飛び抜けて高価な設備も持たない。
しかし、The Windmillにはティムペリーというブッキングマネージャーが在籍しており、彼の長年の活動によってサウスロンドンのミュージシャンコミュニティが形作られた側面がある。
あまりに長くなるのでここでは割愛するが、このティムペリーと、ダンキャリー(Speedy Wunderground プロデューサー)という人物については是非各自で調べて頂きたい。
個々人の熱心かつ的確な取り組みが、世界中に波及する熱狂を生み出したことがよく分かるかと思う。
つまり、“神話”もディテールまで分解すれば、我々がそこから学び、無理なく利用できる要素を持っている。
それ以外に必要なものは、発展を目指した実践だけではないだろうか。
私は以前のNAKAMIのオンラインインタビューの中で、シーンやコミュニティを作りたいという話を展開した。
あの時点では、話す準備もそれほどないまま、ただ思いつきを語ることに終始したが、この文章を綴る今、構想は少しずつ現実味を帯びてきたように感じている。
これから私が何を行うのか、是非注目していて欲しい。
最後に、私のNAKAMIを知ってもらうというテーマに沿った結果、自分に近い立場の人々へ向けた、かなり需要の狭いコラムになったことをお詫びしたい。
しかし、これはインディー/オルタナティブに限らず、音楽あるいは芸術の中でニッチと呼ばれるものに関わる全ての人に伝えたかったことだ。
皆さんが心から愛する“ひねくれた”芸術が、ただの下位文化(サブカルチャー)ではなく、対抗文化(カウンターカルチャー)として発展してゆくことを願っています。

RELEASE
Seven – EP
2022.4.13(Wed) Release
1. Seven
2.Iʼm Right Here
3.Speed of Light