昔では盆踊り、パラパラ、今に至ってはTikTokで振り付けを決めて踊りを投稿するなど私たちの生活の中でいつでも何となくダンスというものを身近に感じてきた。
ダンスは音楽に合わせて体を動かすことが基本動作になっていて、日本においてはどこかしら特定の場所でしか行わなれないもののように感じており、いついかなるときも他人の目を気にしながら生きることを基本とする種族である僕らからすれば、人前で気にもとめずダンスをすることなんて恥ずかしい行為とすら思われるだろう。(無論、海外でも人目を気にしないその行為など変な人と捉えることもあるだろうが)
僕にとってダンスは年々欠かせない行為として一目置かれている。
ダンスは僕にとって基本なのである。
ダンスをすることによって肉体は他との関わりからくる息苦しさから解放され、心もそれに呼応して自由に空を飛ぶように跳ねる。
音楽から流れてくるリズムを身体で上手に感じ取って ーキックとスネアのタイミング(いやそれ以外の何かかもしれない)、そこに絡んでくるベース、ギターまたはパーカッションの裏拍、ボーカルのリズムなどー そのリズムを身体に馴染ませるようにダンスをする。
キックとスネアのタイミングで身体を揺らしてもいいし、その倍のリズムで鳴ってるものに対して身体で応えるのも良い、ダンスをすることは何も決まりはないのだ。
僕にとってのダンスは決められた振り付けを完璧にこなすことではない。音楽から溢れるビートを身体で受け止めて馴染ませる作業のことを言うのだ。(完璧にこなすダンスももちろん愛してはいる)
このダンスが僕にとって生活の一部になりすぎたあまりに、普段からダンスを欠かさなくなった。イヤホンで聴きながら全身で感じてダンスをする。
人の目よりも今イヤホンから流れてるビートを身体で感じることの方が大切なのだ。
2021-2022年の下北沢ベースメントバーとスリーのカウントダウンイベントに呼ばれた時にDJがプレイをしててディスクロージャーなどがかかっていた。その場は僕にとって一番最高の場所であり、時間になった。
僕のダンスをするという行為の祭典のようなものだ。オリンピック。僕の中のオリンピック。
いやそれは飛躍しすぎた。出来るならまたあの日に戻りたい。
あの日に帰られるなら僕は天国だって構わない。
天国でそんな場所があればの話だが。
